第3回多摩ウォークを国立で開催。

2012年3月27日 10時39分 | カテゴリー: 活動報告

2月17日(土)

震災・原発事故1周年討論集会
震災・原発事故1周年討論集会
 雨が気になる当日。スタート時間2時には、何とかあがっていました。
 200人弱の参加者は、思い思いのプラカードや音楽で声や歌や演奏によるデモを行いました。
 この1年間で原発停止へ向けたデモは、日常化してきました。
このことは、自分を表現していく場ができ、考えるきっかけをつくる場としてうれしいことです。
 1回目の国立は、700人から比較すると数は減りましたが、色々なところでの開催がある中で分散しているのでしょう。

 ウォーク後、一ツ橋の学生たちによる企画で「震災・原発事故1周年討論集会」が一ツ橋大学の講義室で行われました。
 地元の有機野菜販売「あひるの家」、福島避難者増子さん、一ツ橋大学院生「こども東北学」を出版した山内明美さんの3人を迎え行われました。
 あひるの家の店主は、今まで長年提携してきた生産者への思いが語られ、現状としてやれることは、生産者や避難してきている被災者へ寄り添うことと。市と協働した被災者の立ち寄り、相談所としてお店を拠点とした。とは、言うもののこれから、どう、つながってどうしていけばいいのかはわからないと。
 三春町から娘と避難してきた増子さんは、大変な事態が起きているのに、学校は、水筒に持たせた水を「学校の水は安全だから」と飲ませない学校。家では、こどもへの内部被爆を心配し、家族とは別に食事を作り、生活の中で何から何まで放射能からこどもを守るために努力しなければならない異常さを涙ながらに語りました。避難せざるを得ない状況、非難はしたが、居住場所は、また、移動せざるを得ないこと。これから、子どもを何回転校させていくことになるのか・・・離れてみて改めて三春町のよさがわかり、帰りたいと強く思うが、井戸水を飲み、取れた野菜や山菜を普通に食べ、普通に生活することは出来ないと。
 南三陸町出身の山内明美さんは、農家の5代目を継いだ弟さん。農業を生業として選択し、頑張っていこうとした矢先の震災、原発事故・・・今後、放射能による影響を長期に考えると「原発で働くしかない」という弟さんの言葉に愕然とした山内さん。その言葉の重さに声を詰まらせていました。

 3人から語られた現実を受け止め、改めて、原発事故による影響を正面から見据え、出来ることを行い、寄り添うことであることを感じました。
 また、原発稼動を行うのなら、「引き受ける」ことを明確にし、事故の補償や長期に渡る汚染された食材を食べるという具体的な事実を一人一人が、表明すべきです。
 汚染された土や海や水は、農業・漁業・普通の田舎での生活を奪い、消費者からの拒否により分断・孤立しました。
 国策で進められた原発。ならば、国策で、被害を引き受けるべきです。とりわけ、官僚は皆、計画購入し、米や野菜、肉、魚を自宅に直送し、食べ続けることは、当然です。
 国会の食堂、自衛隊の食材等々全て国の機関は、原発由来の食材の使用を行うための法律を作るべきです。
 原発事故の責任を誰も取らないどころか、瓦礫の処分だけ安全の根拠などあいまいなまま全国へ撒き散らし・・・・ 
私は、何とか引き受ける責任として食べると言うことを国民の個人レベルではなく、原発を推進してきた官僚、政治家、学者、東電他関連企業等が、引き受けることをしなければ、絶対原発の再稼動すべきでないと考えます。

 押し付けるエゴだけがまかり通る社会の構造こそが、ゆがんだ社会の根底。謝っても元に戻ることのない放射能汚染。国・東電は、生産者に寄り添い、引き受ける事を各自の身に置き換え、早急な対策がとれるよう私は、探ってみたい。