福島第一原子力発電所の放射能汚染拡大

2011年4月6日 12時33分 | カテゴリー: 活動報告

海への高濃度汚染水放出 4月2日(土)

 とてつもない高濃度の放射能汚染水が、第2号機から配水管を伝って流れ出ました。恐れていたことが、次々に起こる事態に寝ていても悪い夢を見続けています。私ですらこんな状況なのですから、被災された方たちは、自然災害に加えたこの人災にどんな思いか計り知れません。

 昨日の東京新聞に掲載された原発に40年間反対をしつづけてきた石丸小四郎さんの記事に胸を打たれました。以下紹介します。

《福島県富岡町の元郵便局員。原発から約4キロ。沿岸部は津波で全て流されたが、高台の自宅は無事。しかし、津波の被害を受けた遺体は放射能汚染がひどく収容できないという報道から「もう帰れない」と避難先の新潟で思う。

 原発反対を訴え続け、今回のことで、知り合いから「あんたは反対運動してたから『それ見たことか』とおもってるべ」と言われるが、そうではなく、40年以上も反対して原発を止められず、無力感にさいなまれている。産業がなく出稼ぎの多い双葉郡は、70〜80年代、原発建設による“原発特需”に沸きかえり、町には飲食店等林立し、交付金など数千億円が流れ込んだ。と同時に、原発反対派は消えていった。

 地元自治体は、交付金により「はこもの」施設を建設・・・
しかし、電源三法交付金は建設後10年たてば急減。借金と施設維持費で首が回らず財政再建団体寸前へ。向かったのは、原子炉の増設。
 原発には、設備投資やメンテナンスに膨大な経費がかかる。原子力発電を止めると一日一億円の損失がでるともいわれている。
損失を減らすためには定期点検の間隔を長くし、点検期間を短縮する。そのために作業員は昼夜を問わぬ過酷で、危険な作業となる。

「日本の資源は乏しい国だから」という言葉が魔法の言葉になり、国民が思考停止に陥っている。原発は「トイレなきマンション」。
 使用済み核燃料の処理工場の停止(六ヶ所村)、イギリス・フランスに頼り、再処理された使用済み核燃料が、日本に戻ってきているが、その中のごみにあたる高レベル放射性廃棄物をガラスで固める技術もうまくいかず、埋設する場所も決定されていない。
 生涯をかけて成し遂げる目標の一つは、刑事責任を含めた国と東電の徹底的な責任追及。そして、ドイツのように国を挙げて「脱原発」でのエネルギー転換を目指し、電力会社10社の独占を防ぐため、一般家庭でも複数の民間電力会社から購入先を選べるように自由化を進める。
 「何万年も消えない放射能だってある。原発災害ほど、世代間で不公平があるものはない。子どもたちのために何とかしなきゃいけない。》(東京新聞掲載記事)
  
 東京に送られる電力の裏側にこんな事実があることが表に出た
ことは、日本最大いや世界での脅威としている原発の放射能もれ事故があったからです。そうでなければ、原発関連記事は、取り上げられても、小さな記事。私も、石丸さんと同意見として今後のエネルギー政策の転換を目指します。
 長い自民党政権や政治と民間会社の癒着・なれ合いは、いつでも将来を見据え、次世代の子どもたちに必要な環境を作る視点から大きくかけ離れてきました。効率優先・独占・政治と産業界の癒着・・・
 大きな・大きな「つけ」が、次世代のこどもたちへ回ってきました。
 経済・産業は大事ですが、空気や水が汚染され、海の汚染でおいしい魚貝・海草が食べられない、肉や野菜が食べられない、人間としての暮らしができない国は、良い国なのでしょうか?
 命がつながる政策を行うのが政治の役割です。お金をいくらだしても空気や水や海は買えるものではありません。
 自分の暮らしをどうしたいかをみんなで考える転換期であると私は考えます。